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札幌で唯一対面でも鳥海流四柱推命講座が出来る協会認定 講師・鑑定師の昌萃(しょうすい)です。
僕はゲームの「信長の野望」の影響もあり戦国時代の大名や武将が好きです。
タイムマシンでどの時代に行きたいと聞かれたら、まず戦国時代へ行き自分の目で見てみたいと思っています。
その中で今日はベタですが、織田信長について触れてみたいと思います。
歴史の書籍などで人物像や実績については色々と伝えられていますが、織田信長の最後「本能寺の変」はあまりに有名な出来事です
が、最終的に信長の亡骸が確認されていないという点や、なぜ本能寺だったのかと言うことが謎ですよね。
諸説ありますが、本当のところを是非自分で確かめてみたいものです。
そんな時にも四柱推命は、人物像を現在に蘇らせることが出来るので今回取り上げてみます。
第六天魔王と自ら名乗った織田信長は一体どんな人物だったのでしょうか。
織田信長の命式はコチラです。

生年月日については諸説あり、和暦から西暦に変わったことから、今回はルイス・フロイスの記述から生年月日を導いた、松田毅
一先生の説を採用して命式を出しています。(西暦1534年7月3日を採用)
ちなみにWikipediaでは西暦1534年6月23日となっているようです。
まずは「申酉天中殺」を持ち、行動力が決め手の人物でマルチタスクを難なくこなすタイプであり、常に忙しくしている宿命を持
って生まれてきたようです。
これは、「偏官(へんかん)」という行動力の星を2つ持つことからも現れており、攻撃本能が強くじっとしていられない性を持
つ人物であったことが推察されます。
確かに、信長が戦国の世で頭角を現してからの行動力とスピードは類を見ない勢いでした。
更に「印綬(いんじゅ)」という知性の星も2つあるため頭が良く興味のあることについてはとことん追求する性質が現れてお
り、当時としてはかなり頭がキレるタイプで、新しいものに興味を持つためそれまで無かった鉄砲を戦に用いるなど、当時の常識
に捕らわれず常に最先端を走っていました。
「帝王(ていおう)」というリーダーの星を持ち、「長生(ちょうせい)」という信頼を集める星があるので、次代のリーダーと
してなるべくしてなった人物と言えそうです。
残忍なイメージも強い信長ですが、確かに「食神(しょくじん)」という子供の星があるため、自分の欲望に正直なところがあ
り、当時としては周囲に意見できる人がいなければ自分の欲望が残忍性につながった可能性があるでしょう。
日干の天干が「戊(つちのえ)」なので、自然界で例えると「山」の人です。
厳しさもありますが、圧倒的な存在感があり時とを惹きつける魅力の持ち主でもあります。
ただ単に残忍な人物ではなさそうです。
そうなると、どんな人物か益々会ってみたくなりますよね。
そして、僕自身とても興味のある「本能寺の変」の真実。
残念ながら、四柱推命で推測できる範囲は限られますが、可能性として、本能寺の変が起きた1582年6月2日は信長にとって「天
中殺」の月にあたる時期でした。
この時期は、いつもと違う言動や、判断を誤りやすいという運気が入ってきます。
用心深い信長が運気の影響で何らかの判断ミスを犯していたのかもしれませんね。
「天中殺」は決して悪いことが起こる時期ではないのですが、いつも以上に運気の波が大きく変動する時期です。
悪い出来事が起こるといつも以上にダメージがある出来事が起こりえます。
本能寺の変はこんな運気が関係していたのかもしれません。
信じるか信じないかはあなた次第です!